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現代アジア研究クラスター

冨山 一郎
氏名 冨山 一郎(トミヤマ イチロウ)
博士後期課程教授
研究者データベース(オリジナルサイト)
業績一覧
研究室 志高館265
E-mail: itomiyam@mail.doshisha.ac.jp

研究分野

日本研究
沖縄近現代史研究

プロフィール

一時期は生態学をこころざし、あるいは動物のお医者さんになろうとしたときもありました。大学院では農業経済史を専攻し、戦前期の沖縄農村を考え始めました。そして考えを進めるうちに、沖縄からは次から次へと難題が発せられてきました。国家、ディアスポラ、戦争体験、マイノリティの思想、グローバル・ミリタリズム、植民地主義とジェンダーなど、沖縄から発せられる具体的な問いを受け止めようとしているうちに、研究対象が方法論や学問分野の拡張、さらには学そのものへの問いを促すことになり、現在では文化研究から思想史まで、幅広く考えています。

手際よく、「○○は専門じゃない」といいはってもよかったのかもしれませんが、発せられる問いにすすんで巻き込まれながら、手探り状態の中で考え、結果的に領域を横断してきました。それでよかったと、今は思います。なぜならそこには、考えることの喜びがあるからです。問いに巻き込まれること、そして「おもろい」というのは、私にとって、大切なキーワードです。

学生へのメッセージ

(プロフィールからつづきます)ですから皆さんには、考える対象から発せられる問いに、積極的に巻き込まれてほしいと思います。そこでは、学問分野はもとより、人を所属集団において定義する要素を根拠に、「○○だからこの問いは私には関係がない」といって処理することを、断固として拒否する姿勢が必要です。またそれは、考える対象としている人々や場所を、傍らにいながら既に他人事ではない存在として受け止めることでもあります。こうした構えは、場合によっては痛みを伴うものかもしれません。ただ同時に、間違いなく喜びもあります。

越境的に考えることとは、異なる場を共通項でくくり上げることではなく、あえていえば、個々に生起する問いに、他人事ではないといって巻き込まれていく痛みや喜びの伴ったプロセスです。専門分野や学会といったアカデミアの制度も、領土的区分けのためではなく、このプロセスを確保する為にこそあるのだと思います。グローバル・スタディーズという言葉の意味も、私にとってはこの点にあります。

最近気に入っている、ある生化学者のフレーズがあります。彼は自らの研究を省みて、次のように記しています。「大切なのは、答えよりも問いであり、その問いをどう表現するかということだった」。巻き込まれていくということは、問いが次なる問いに連鎖していくことに他なりません。そして、問いにまみれていく中で世界は暫定的となり、未来に開かれていきます。「未来をつくりだす機械」。彼は研究行為をこう表現しました。その通りだと思います。

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