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研究科長のメッセージ

岡野 八代 研究科長

岡野 八代 研究科長

 2020年よりわたしたちは、世界が突然分断されたような状況に追いやられる一方で、人と人とのつながりが驚くほど緊密であることを経験するという、現代のグローバル社会に対する認識が一変されるような経験をしました。分断によって逆に、様々な手段・テクノロジーの発達のおかげで、いかにこれまで容易に人や地域と交流することができていたかに気づかされ、また、ウィルスの感染力によって、人は孤絶して生きることが不可能な、相互に依存しあって生きていることを、まざまざと見せつけられました。
 21世紀に入り、加速するグローバル市場の遠心力と、それに対抗するかのような国民や民族の凝集性を求める人びとの欲望の狭間で、さまざまな課題に私たちは直面してきました。しかし、新型コロナウィルスのパンデミックは、よりミクロで複雑な人と人とのネットワークから私たちの社会が成り立っていることと同時に、自然とのよりよい共生を模索しなければならないことが人類にとって喫緊の課題であることを世界的に知らしめたのではないでしょうか。
 同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科は、2010年に発足して以来、社会科学と人文科学を専門とする教員が集まり、歴史、地域社会、文化、政治、思想、言語といったアプローチから、わたしたち人間のつながりを分析、観察、そして批判的に考察するためのカリキュラムを構築してきました。人びとのつながりはなぜ、時にこの上ない喜びを私たちにもたらし一方で、時に苦悩や悲しみ、さらには憎悪や敵意さえももたらすことになるのでしょうか。グローバル・スタディーズ研究科では学生のみなさんに、こうした誰もが経験するような身近な問いが、時空間を超えて、あるいは一人の思想家や研究者の思索によって、そして芸術作品のなかで、驚くような発見へとつながっていく経験を味わってほしいと願っています。

地域と世界、そして人びとの間で感じ・考える

 グローバルな視点とは、国際的な視点と比べてみると、つぎのような特徴があるといえます。地球は球体であるがゆえに、誰もがその中心、つまり誰も周縁ではありません。そのことは同時に、誰もがその声を正当に認められ、同じ価値あるものとして扱われることをも要請しているともいえるでしょう。しかしながら、実際この地球上では、グローバルであることから要請されているような、生命体のあるべき姿とはまったく異なることが起こっています。誰しもにとって、自分が存在することは当たり前ですから、自分を中心だと思いなしてしまうことは責められません。しかしながら、誰もが他者とともに在ること、地域のなかでネットワーキングしながら生きていること、そして地域は世界のなかでこそ、その歴史を紡いでいることに目を凝らせば、誰しもが中心を生き、誰しもが中心ではない、そうした人間社会の不思議な重力を感じることができるはずです。

コミュニケーション・交流に出かける

 中心で「ある」ことと「ない」ことの間で人間社会を感じること、それは多用な価値観や人々の多様な声、雑音や沈黙にさえ自分をさらすことになるでしょう。何ものかに対峙し、自分の異なりを感じることで、私たちは未知の世界へと一歩足を踏み出すことができます。本研究科では、講義やゼミはもちろんのこと、教員が他研究科、あるいは他大学の研究者たちと行っている研究センターや共同研究会、シンポジウム、ワークショップ、そして本研究科の学会であるグローバル・スタディーズ学会など、多くの学生や研究者たちとの出会いの場が用意されています。自身の研究が、他の研究者たちの関心や成果の間でどのように異なっているのかに気づくとき、そこからまた、新しい切り口が見えてくるでしょう。

批判的に考察する

 批判的であること、クリティカルという言葉は、もともと区別すること、見分けること、判断することを意味するクリティコスと、基準を意味するクリテリオンという二つのギリシャ語を語源としています。すなわち、そこには、「ある基準をベースに判断すること」という意味が込められています。わたしたちは、意識するしないにかかわらず、つねに、物事を区別し、ある価値観に基づいて判断を下しています。たとえば、自身のジェンダー観を振り返ってみましょう。ある職業は、女性らしいであるとか、態度や言葉遣い、ふるまいに至るまで、ある現象を前にわたしたちは判断を下しています。そうした自身の判断は、人との間で、あるいは地域の間では通用しないかもしれません。批判的であるとは、まずは、自分が当然のように行っているその判断が、どのような基準をベースにしているのか、そのベースの由来はなんなのか、他の判断の仕方があるのではないかなど、人との間で、地域あるいは国家の間で、考察し、反省してみることを意味しています。

楽しく、躓いても、また喜びへ

批判的であるとはどういうことなのかを、このように掘り下げていくと、批判が危機、つまりクライシスと同じ語源をもつことにも納得がいくかもしれません。危機を前にすると、わたしたちは通常の判断とは異なる判断を迫られたり、決定的な判断が必要となったりします。また、自身の判断基準を疑ってみることは、自分自身のアイデンティティが揺るがされるほどの危機的な経験にもつながるからです。研究を継続するなかで、わたしたちは幾度かそうしたクライシスに陥るかもしれません。ですが、クライシスとはまた、好機を意味するチャンスとも語源を共にしています。
 学生の皆さんは、この地球上でひとつの関心をもって研究の道を歩みます。その関心を探求するなかで、心が折れそうになったとしても、その関心の端緒にあった喜びを忘れずにいてください。それは、未知のなにかに出会う喜び、人とむすびつく喜びだったはずです。喜びを見失いそうになったときは、どうか、その悩みをだれかと、あるいはどこかで共有してください。クライシスは新たなつながりを見いだすための、チャンスに他なりませんから。

研究科長 岡野 八代

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